日清戦争の開始により、昭島の村からも何人かの青年が戦場に出かけました。
しかし、昭島の村全体で実際にどれくらいの人が
戦場に行ったのかは、記録に残されていません。
福厳寺の「表忠碑」には、昭和村の区域から七人が戦場に行ったと記されていますので、
拝島村を併せるとそれ以上の青年が従軍したことは確かです。
戦場は日本よりはるかに離れた朝鮮、中国であったとはいえ、
昭島の村も戦争と無関係ではいられませんでした。
明治二十六(1893)年、近衛師団は、北多摩郡に馬百八十八頭の供出を割り当てました。
そのうち、大神村には、牡乗馬四頭、牡駕馬七頭、牡駄馬五頭合計十六頭が割り当てられました。
他の村にも同様の数が割り当てられたと思われます。
これにより、農耕や荷の運搬のために貴重な馬を徴発された村人は大変な痛手を受けました。
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