一徹(ペンネーム)本名・幡垣誠
初めまして、それではお話しをお伺いいたします。
三田さんはいつ頃からここで、履物屋さんを始められたのですか?
三田
私は元々福島村の生まれで戦後の昭和23年にここで商売を始めました。
当時はもっと広かったので、色々と雑貨もおいていました。
一徹
江戸街道は当時どんな感じのみちだったのでしょうか?
三田
2メートルもないぐらいの道だったよ!
舗装もされていなかった。
道路拡張のたんびに店が削られちゃってね・・・
一徹
他に街道にはお店があったのでしょうか?
三田
今の八千代銀行のところに大正屋というマーケットがあった。
そこがいちばん古い店だったと思うがね。
一徹
八清商店街はどんな感じだったんでしょうか?
三田
八清商店街の道も狭かった。
19年頃に拡張していったみたいだね。
ロータリーから昔のネッツトヨタの交差点へ向かう道も最初は狭かったように思う・・・
一度立てた住宅をいっぺん壊して道を拡張していったかな・・・
最初から商店が存在したのでなく、少しずつ増えていった。
今の多摩信用金庫までしか本通りはなかったし、玉川小学校にまっすぐ
抜ける道はなかったね、畑の道を通っていくようだった。
中神の人は真覚寺の道を使って八清商店街へ来ていたね。
昔はそっちの道が本通りだった。
あーそうそう、多摩信用金庫の所が男子寮だった。
女子寮は今の池田塗工店の処にあった。
壁がピンク色で桃色御殿なんていわれていたね!
一徹
桃色御殿ですか、ホントに派手なピンク色だったンでしょうね〜
他に、思うところ何か、お話しはありませんか?
三田
江戸街道から南に向かった八清付近はもっと坂だったと思う。
地面をならしてから、八清在住を建設したみたいだね!
地盤が緩いから家が傾いちゃうところもあった。
一徹
貴重なお話しをして頂きまして、ありがとうございました。
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