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(1)日枝神社中神の獅子舞。 (2)宵宮の宿。 (3)獅子舞の発祥起原と由来。 (4)美しい道中。 (5)中神の獅子舞を検証する。 (6)熊野神社中神の獅子舞。 (7)中神の獅子舞千秋楽。 歴史ファイルへ戻る |
まで、神様として奉られました。
古来獅子(ライオン)は″百獣の王″として尊敬されてきました。 インドでは仏法の守護神とされ、大日如来や文珠菩薩の乗り物となっています。 そして、チベット語でセンゲ、インドネシア語でシンガ、琉球語ではシーサーです。 インド大陸の涙といわれるセイロン島(スリランカ)は紀元前600年ころ シンガポールの地名もサンスクリット語の「獅子の島」です。 獅子舞は技楽により日本へ伝来 日本へは伎楽(ぎがく)とともに中国から朝鮮半島を経て入ってきましたが、 伎楽というのは仏供養の楽舞としての一種の仮面行列で 行列は露払いの治道(ちどう)・師子(獅子)を先頭に、 伎楽の行道は天平勝宝4年(752)、東大寺の大仏開眼にも行われ、 伎楽はこのように大社寺や宮廷の行事に行われたが、
が入ってきました。
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それにしても、えらく気の長い話しになってしまいました。
7世紀の終わり頃、中国から技楽によりやって来た獅子舞は
いったいこれからどうなってしまうのか!
それでは独り立ちの三匹獅子はどこから来たのか。
誰が最初に考えたのかを検証してみましょう。
高水山に所蔵されている「日本獅子舞之由来」と題する巻物によると、
1245年3月節句の夜、宮中で御宴が催されたおり、 一天にわかにかき曇って雷鳴とどろき、天地震動したかと思うと、 ものすごい光り物が飛んで来て紫宸殿の庭へ落下した。 参列していた客は大いに驚き恐れたが、 よくよく見ると三つの動物の頭らしき物であった。 しかし、誰一人としてこれが何物であるか判らず、 「かような物が宮中へ飛来するのは天下騒乱の前兆であろう。 ただちに海へ捨ててしまえ」ということになったが、 天皇の命令で石清水八幡に占ってもらったところ、 「これぞ南天竺の洞ヶ岳に棲む獅子という動物の頭で、 この獅子の頭が我が国へ飛来したことは希有の吉兆である。 この三つの頭をかぶり舞うときは、 日本国は永久に天下泰平であろう」とのことであった。 そこで、下総国の角兵衛という舞の上手な者が弟の角内・角助と共に 宮中に招かれ、獅子頭をかぶって勇ましい舞を演じた。 というようなことが書かれており、全国的にも同様な説話となっている。 ……「高水山獅子舞の解説」より抜粋 |
どうやら角兵衛・角内・角助は実在した人物だったようです。
ではなぜ、三匹獅子舞を始めたのかは、定かでありませんが、
筆者の思うところ、
(1)地元の村で獅子舞を披露して、 好評につき、その精度に磨きをかけた。 (2)その評判は貴族から後嵯峨天皇の耳に達し、 宮中で披露する機会を与えられ、 その演出は綿密に計算された中で執り行なわれ、 獅子舞は大好評だった。 (3)そして、天皇は三匹獅子舞を気に入り、 角兵衛兄弟にたくさんの褒美を与えられた。 そして、これまでの敬意に、話しの尾ひれが付いて 高水山獅子舞の記述になった。 (4)三匹獅子舞は当時、今までにない、 画期的なオリジナルのパフォーマンスだった。 |
(1)日枝神社中神の獅子舞。 (2)宵宮の宿。 (3)獅子舞の発祥起原と由来。 (4)美しい道中。 (5)中神の獅子舞を検証する。 (6)熊野神社中神の獅子舞。 (7)中神の獅子舞千秋楽。 歴史ファイルへ戻る |